自分をどんな人だと思ってますか?自分へどんな期待を抱いていますか?
私は自分へ間違った期待をしていたことに気づき、ハッとして、ズーンとなって、ドーンとなってチーン、となったお話を今回は書いていく。
私の母はいわゆる方向音痴だ。家族は誰しも母の道案内は信用していない。地図を見るときもスマホを2-3回はクルクルと回す。昔は、そんな方向音痴の母をバカにしていたし、母のようになりたくないと思っていた。
だが、大人になって気づいた。私は惜しくも母に似て方向音痴かもしれない・・!と。
しかし、心の抵抗がすごかったので、認められなかった。そして、地図を見ながらどこかへ行き、たまたまたどり着くことこともあったので、いつの間にかオセロをひっくり返すように、自分への認識を塗り替えた。「私は地図が読める!」と。それどころか、「地図が読める」ということに色々付随して「私は地図が読めるしっかりしてる人」「私は地図が読める賢い人」「私は地図が読めるできる人」と付け加えていた。
そのメッキのような自分への間違った認識、期待感がまんまと崩れる出来事があった。
ある日、旦那さんの資格試験で新宿へ行くことがあり、私も一緒へ行くことにした。途中、旦那さんが顔の乾燥を訴えたので、試験に集中してもらうために、クリームを薬局で買うことにしたのだ。試験前に昼食を取るために、旦那さんは先にカフェに行ってもらい、私は一人で薬局に買いに行くことにした。ちょうど欲しいクリームが某薬局にあったので、徒歩5分で行けるその薬局に向かって行った。
が・・・
いくら歩いても歩いてもたどり着かない。Googleマップ様を見て歩いてるはずなのに、どんどん遠のいていく。5分で行ける距離の薬局だったはずが、9分、10分とどんどん離れていく。更には新宿の西口にいたはずが、なぜか東口にまで来てしまっていた。時間だけがどんどん経っていき、旦那さんの出発時間が残り20分となる。仕方なく全然行く予定じゃなかった薬局で、買う予定じゃないクリームを急いで買い、旦那さんが待つカフェへ向かおうとする。が、これまた方向がわからない。
新宿の真ん中で「助けて〜地図が読めない〜わからない〜」って泣きそうになった。
いい意味で自分に絶望した。
私は地図が読めない。
そして、自分への間違った期待感で自分を「こうあるべきだ」って縛っていたことに気がついた。
しっかりした人でないといけない。賢い人であるべき。ちゃんとしたできる人じゃないといけない。と
私は地図を読むのが苦手だ。しっかりしてないところが山ほどある。さて、その上でどう生きようか。