私の中にずっとあった心の癖
ある時ふと気づくようになったこと。
自分が所属している職場や教会に新しい人が入ってくると、歓迎する思いはもちろんありつつも、無意識に心に壁のようなものを作ってる自分がいるなということに気づいた。
壁という名の「警戒心」という感じ。「敵対心」という感じ。
この心で構えてしまう自分が嫌だなと思っていた。なんで他の人たちのように、素直に受け入れてあげられないんだろうと思っていた。
ある時気づいたのは、新しく来た人が「私の存在、私の居場所を脅かすのではないか」と思って警戒をしているということだった。
後から冷静に考えてみたらそんなことはないはずなのに。そういう状況に瞬間出くわした時の反応、反射はいつも「警戒心」だった。
なんとか自分を守らなきゃって、ガチガチの戦闘体勢って感じ。
根底に見えてきたもの
「特別な存在として見てもらいたい」
「特別に認めて欲しい」
「特別に愛して欲しい」
深く自分と向き合ってみると、こんな感情が根底にあったのだ。
そう思うと、今までの自分の努力は「特別でなきゃ見てもらえない」「特別でなきゃ愛されない」これを満たすためのものだったということが分かるようになった。
この感覚と似たような記憶を振り返ってみると
妹が生まれた時のことが思い出された。
今までは私だけのお母さん、お父さんだったのに、いきなり別のわけわからん存在が介入してきて、怖かったし、すごく悲しかったんだなと感じるようになった。
もっともっと私だけを見てもらいたかったし、特別に扱って欲しかったし、愛して欲しかった
これが小さい頃の私が思っていた本音本心。そして成長した今もそれを満たすために必死だったということ。
この記事を書きながら「幼少期の自分、必死に生きてきた自分、かわいらしいな。頑張って必死に自分を守るために生きてきたんだな」と思って微笑ましくなっている。
特別な存在になろうとしなくても、本当は既に特別な存在で。
唯一無二になろうとしなくても、もうすでに唯一無二の存在なのだ。
皆さんにもありますか?ずっと手放せずにいる心の癖が。
きっとその奥底には小さい頃のあなたが必死に生き抜こうとして頑張っていた姿があるはず。