「歌うこと」と自己肯定感
歌を歌うことと自己肯定感は非常に関連が深いと感じている。
なぜなら、私自身がひどくこれで悩んできたからだ。
歌というのは、自分の中にあるものを外へ出す、アウトプットする行為でもある。自分の声、自分の息、自分の感性、自分の表現、自分のセンス、自分の思い、自分の魂を。
声を出すことができる限り、誰にでもできることではあるが、ある意味非常に勇気のいることでもあるのではないかと思う。
息づかい
「息」という漢字を見ると、「自分の心」と書く。息とは、自分の心を乗せるものだなと思う。
1音1音という小さなビーズが「息」という糸に繋がれていき、歌になって美しい作品になっていく。同じ曲でも、誰が歌うかによって、その歌は微妙に、または大きく異なってくるのである。
自己肯定感の高い人は、うまいか下手か、人からどうみられるかに重きを置くというよりかは、自分自身が歌ってる心地よさに重きを置けると思うが、
私自身は、うまいか下手か、周りに上手に聞こえてるかどうか、人よりもうまいかどうか、完璧に歌えるかどうか・・こういったことばかりに意識が向き、自分の首を絞めるような思考ばかりしてしまい、結局歌うこと自体が怖くなってしまった。
「歌う」のが怖い
人の目が怖くなり、緊張がマックスになり、汗が出てきて、マイクを持つ手が震え、「息」が意識とは裏腹にブツっブツっと切れるようになってしまったのだ。心を乗せる「息」が切れるようになるのだ。そうすると、周りには心配され、更に自信を失っていくという負のループが出来上がってしまう。そうするともう、歌うこと自体が怖くなる。
好きだったはずの「歌を歌う」こと自体、自分の中から消えてしまうのではないか、と。
歌や芸術は神様が人間にくださったプレゼント
そもそも歌は神様が私たちが豊かに生きられるようにくださった美しいプレゼントだ。だから、自信があるない、歌っていい悪い、そんなことは全く関係ないし、誰にも止める権利はない。
ある知り合いが私に言ってくれた言葉が今でもすごく心に残っている。
「肉を食べたいなって思った時に肉を焼くのに自信って必要?ただ焼けばいい。それと同じく、歌を歌いたいって思った時には、ただ歌えばいい。自信なんて必要ない。」
他人と比較して、他人からの評価や周りの顔色ばかり意識し始めてから、
ただ楽しく、ただ幸せに、ただ心地よく、歌えなくなってしまっていたのだが、
歌という最高のプレゼントをもっと豊かに、もっと幸せにもっと心地よく奏でていきたい。歌っていきたい。
この心の息に乗せて。